こんにちは!Natuです^^
カンブリア宮殿に三浦一光【コスモスベリーズ】の創業者が出演しますね。
再建事業の神でもある三浦一光さんは何故いつも再建を成功へと導くことができるのでしょうか?
一度なら運もあるのでしょうが、これだけの数社を再建へと導く秘訣は何があるのでしょうか?
ここでは三浦一光【コスモスベリーズ】の創業者の事業への取り組み方を調べてみたいと思います。
皆さんも一緒に調査してみましょう~♪
目次
三浦一光【コスモスベリーズ】の創業者・事業再建までの道のり
大学進学を諦め、お父さんの商売を手伝うために名古屋に行き、縁あってアルバイトで行きだした松下電器のテレビジョン名古屋営業所。
ここがその後の三浦一光の仕事への原点となります。
1956年:松下電器(現パナソニック)正式に入社した時は19歳だったようです。
1988年:西日本ナショナル電気(株)社長就任に子会社の社長に就任されていますがこの期間32年間です。
最初は営業部技術の直す技術だけを教わり、次は難視聴対策工事で山の上にアンテナをたてるというようなテレビを売るためのインフラをと整えるお仕事だったそうです。
社内では技術者としての立ち位置となると思います。
その後テレビが映らない場所がなくなり、任務終了かと思いきや、余剰人員はみんな販売店回りをされたそうですが、営業が苦手だったそうで奥様に後ろ押しに支えられたそうです。
1971年に松下電器産業の名古屋営業所の量販課長になった三浦一光さんは苦労のかいあって『量販の三浦』と言われるようになり営業職での出世を果たしました!
ここが三浦一光さんの強みとなっていったように思えます。
後に携わる事業に大きく関係しているようですね。
ここで出世路線にのり1988年:西日本ナショナル電気(株)社長就任となりました。
あまりのスゴイ経歴に時代を革命させるような方は本当にエネルギーがないと果たせないのだなぁと後ずさりしちゃいそうです。
一度でいいから実際の後光を見てみたいです(゚▽゚*)!遠くてもいいから会ってみたいですよね!
三浦一光【コスモスベリーズ】の創業者・事業再建は?
1993年:松下電器産業(株)営業本部副本部長就任(ダイエーとの取引スタート)とさらりと経歴にはありますが、ダイエーと松下電器は1964年から30年にわたり商品の価格販売競争で戦争とも囁かれていたそうです。
『メーカー小売希望価格』
よく表示してありますが、普段そんなに深く考えた事がありませんでした。
当時松下電器は値引き許容範囲を15%としていましたが、ダイエーは20%引き
で販売したいと考えていたそうです。
これに対して松下電器はダイエーに商品出荷停止という厳しい対抗処置をしたそうですね。
ダイエーは松下電器の商品出荷停止は独占禁止法違反だとして裁判告訴した過去がありました。
ダイエー創業者中内㓛さんと松下幸之助さんの取引は決裂となりました(゚▽゚*)
松下幸之助さん没後ではありますが、両者で和解をし1993年に松下電器産業(株)営業本部副本部長三浦一光さんが就任(ダイエーとの取引スタート)をさせたそうです。
松下電器とダイエーの事業が大きく革命されたのには三浦一光さんなくては出来ない大きな事業の取り組みだったのです。
その後は事業再建という最も難しい難題を立て続けにされています。
1994年:松下電器ビデオ事業部長として事業再建
1996年:テイチクレコード社長として事業再建(天童よしみ・3曲のミリオンセラー)
1999年:豊栄家電社長就任 経営難の時に就任
三浦一光【コスモスベリーズ】の創業者・事業再建は何故成功する?秘訣は?
三浦一光さんの表情はとても優しく、若い方を受け入れてくれるような柔軟性を感じさせます。
常に先見の眼で新しい時代を受け入れるような柔軟性がいつも危機を救えるひとつだったように思います。
偉くなる人は、真摯かつ紳士でこだわりは強いが考え方は柔軟の典型の会長さん、僕も尊敬し見習います。 三浦 #会長 #大好き #尊敬 #尊敬する人 #コスモスベリーズ #三浦一光
また、働く女性のライフスタイルを見直し、冷蔵庫も買いだめするスタイルへとの変化、洗濯も毎日ではなく3日~1週間間隔への変化にも気がついたそうです。
~でなくてはならない、~のはずの思い込みを取り払い『ユーザーイン』の物作りこそが使命だと考えていらっしゃるそうです。
また妻である専業主婦と兼業主婦である次女の買い物スタイルなどの違いから現代社会のお客様に自らの付加価値提案をよく考え消費者に快楽生を提供していくかも重要だそうです。
常に顧客視点をもち超高齢化社会や共働き夫婦での観点など時代に寄り添った柔軟な考え方を偉くなった今も新しいものを受け入れる、寄り添うような事業展開なのではと思いました。
厳しく鋭い事業の中には思いやりや寄り添う気持ちが沢山あるように思えます。
三浦一光【コスモスベリーズ】とは?
2005年:ヤマダ電器と合併コスモスベリーズ設立・会長就任
となっていますが、コスモスベリーズとは一体どんな会社なのでしょうか?
1971年9月に株式会社豊栄家電として創業し、1999年:豊栄家電社長就任された三浦一光さんが見事再建された会社です。
2005年9月に株式会社豊栄家電の家電事業を、会社事業分割しコスモス・ベリーズ株式会社を設立されました。
1990年の大型家電量販店がにより、苦戦をしてきた街の電器やさんは1982年に全国に7万点以上あったものが2018年には約1万8000店までの減少をされてしまっています。
コスモスベリーズはバイイングパワーを持たない街の電器店の代わりに商品の仕入れを担い全国1万店舗以上の加盟店やコンサル業務を引き受けているそうです。
これによって「情報、仕入条件、品揃え、安定供給」を活用でき、「小売りの公平な競争環境」を提供してくれるそうです。
従業員は71名と言うことですがこれにも三浦一光さんの思いやりの部分があり、不況になった時にきちんと保証できる社員数が60人ということからだそうです。
○年収は全国平均と同じくらいで失敗しても給与が下がらず再チャレンジができて安心できる。
失敗しても評価が下がらないため、のびのびとした実力を発揮できるでしょう~
○全従業員ほぼ100%で有給を消化できる。
○女性は産休育休制度が使えて働きやすい。時間短縮での勤務も可能で、みんなでフォローしながら働ける。
女性なら仕事か子供かで範囲が限られたり、諦めることが多い中でありがたい取り組みです。
○福利厚生が充実している。
○与えられた仕事に対して自分で考えて実行することができる。
これも社員を信頼する姿勢だからこその観点です。
信頼されるほどに頑張ろうと感じますし、言われていることだけをしているのでは退屈ですよね(゚▽゚*)
時代を柔軟に受け入れ、人を信頼し、思いやりを持ち、寄り添う
そんな事を学んだように感じますが皆さんはいかがだったでしょうか?
まとめ
三浦一光さんの表情はとても優しく、若い方を受け入れてくれるような柔軟性を感じさせます。
常に先見の眼で新しい時代を受け入れるような柔軟性がいつも危機を救えるひとつだったように思います。
今後も大きな器の紳士的な再建の神、三浦一光さんのご健康とご活躍を期待しています。