石原和幸【庭園デザイナー】の経歴と廃業借金8億からの復活の戦略は?

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今晩は!Natuです。

逆転人生に『世界が認めた庭園デザイナー』の庭園デザイナーの石原和幸さんが出演しますが、廃業、8億の借金のどん底から復活させた戦略や生い立ちなどの経歴が気になり調べてみました。

現在、庭園デザイナーの石原和幸さんは、世界最古のガーデンコンクールで金メダルを11個獲得をし、全国からのお仕事以来が殺到しているそうですが、その強い精神はどこからくるのでしょうか。

このページでは

庭園デザイナーの石原和幸さん

○ 石原和幸経歴

○ 石原和幸廃業から復活まで

○ 石原和幸廃業借金8億からの復活の戦略は?

○ 石原和幸借金8億からの復活の現在は?

について調べてみました。

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石原和幸【庭園デザイナー】の経歴は?

画像元:ツイッター

石原和幸さんは1958年1月14日生まれの現在62歳です。

エネルギーがスゴイせいか年齢よりお若くみえますね!

庭園デザイナーで有名な方なのですが、大学は久留米工業大学で交通機械工学部をご卒業され、当時の夢も『モトクロスのレーサー』だったそうです。

大学卒業後は自動車関係のお仕事から始まっていました!

石原和幸の3分でわかる経歴

○ マツダオート長崎にて整備士となる

○ 22歳から池坊で生け花の勉強を始める

○ 23歳で人生をかけお花の世界で進むと決意

○ 同年、路上販売生花店で給料なしでもいいのでと雇ってもらう

○ 25歳で独立『花風』開店

○ 1982年7月 ・長崎大洪水

・花畑全滅

・全財産の軽トラが流される

○ 『花泉』で雇われで働く
・畳一畳分スペースで1人で300万の売り上げ

○ 29歳で再び独立(長崎)
・花市場の許可書なし
・長崎に2年間で30店オープンさせる

○ 35歳から庭造りを始める

○ 41歳東京港区白銀に進出し、2年で8億の負債をかかえる

○ 45歳まで庭造りと花販売で借金を返済し、2004年に『チェルシーフラワーショー』初挑戦

・銀メダルのシルバーギルト受賞

・長崎市より特別表彰

○ 2006年~2008年 3年連続『チェルシーフラワーショー』にてゴールドメダルを受賞

人生山あり谷ありで激動の人生ですが、石原和幸さんは経歴を見ても、決して諦めずにさらに努力を積み重ねられる、常にその時の状況に適応される力強さがある方なのです。

物事が上手くいかないと、暗く後ろ向きになったり、投げやりになったりする人のが多いと思いますが、この精神力の高さは素晴らしいです。

石原和幸は一体どんな心持ちで挫折からまたさらなる挑戦に挑み現在の『世界が認めた庭園デザイナー』までとなっていったのでしょうか。

次はそのあたりを詳しく調べていきたいと思います。

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石原和幸【庭園デザイナー】廃業から復活への戦略は?

25歳で独立したものの、長崎大洪水にて、すべてを流されてしまいました。

自然災害の恐ろしさですが、ある日突然にすべてを失い何から初めていいのかさえわかりません。

石原和幸さんは雇われて、『花泉』で勤務しだしますが、意欲を失っているどころか、たった一人で畳一畳のお花やさんにて月300万もの売り上げました!

そんな事が可能なのでしょうか?

『世界が認めた庭園デザイナー』石原和幸さんは、月300万もの売り上げをあげた秘訣として、『お客さんのよろず相談』頼まれごとをひたすら引き受けいつも花を走ってお届けされたそうです。

洪水の被害で自分だけが辛いなどと言ってられなかったのでしょうか。

今できる、お客様に喜ばれることを一生懸命されたようです。

その後29歳で再度独立されますが、花市場に入る許可が取れなかったそうです。

石原和幸さんは、そこでもめげません!

直接生産者のところに足を運び、花を仕入れていそうです。

その後、知人から福岡県 久留米市の花市場を紹介されるものの、長崎から片道3-4時間かかったそうです。

石原和幸さんは車で寝泊まりしながら仕入れに通ったそうです。

採算をよりも、お客様を感動させたくて、花を売らずに夢を売ると心に誓っていたそうです。

お花好きから始まったお花やさんて子供の頃におこづかいでお花を買いにいくとおまけしてくれるたりして、お花やさんにはそういう方が多いのかもしれませんが、本当にお花を買った記憶よりもその時のうれしかった気持ちがずっと心に残ったりしますよね。

石原和幸さんは人に寄り添い、喜んでもらえる事を基本としてその後、長崎一の繁華街・銅座で、自販機置き場など小さなスペースに次々と店を出し、2年間で30店をオープンさせました。

長崎大洪水ですべてを失ってから、再度独立をされ、30店舗のお店のオーナーというだけでも有名人なほどの精神力と商才です。

ここで、幸せなままずっと暮らしていきたいですが、この後にさらなるチャレンジに石原和幸さんは挑まれます!

石原和幸【庭園デザイナー】8億借金後の復活の戦略は?

41歳の時に石原和幸さんは大手商社からの合併会社設立のアプローチを受けいれ、全国800店舗展開で5年後には株式公開を目指し、東京港区白金へと進出されたそうです。

白金と言えば、高級住宅街でお花にお金をかけていそうな奥様がいるイメージです。

ですが、売り上げ不振により結果8億もの負債を抱えて2年で倒産してしまったそうです。

長崎で原点に戻り、庭づくりと花の販売で地道に5万~30万程でコツコツと借金を返済しながらも、石原和幸さんは2004年に『チェルシーフラワーショー』初挑戦します。

ここから石原和幸さんのさらなる大きな挑戦と復活への道筋へとつながります。

チェルシーフラワーショーとは

イギリス・王立淵源協会が主催し、毎年5月にチェルシーで開催されるガーデン・ショー。

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初挑戦にも関わらず、石原和幸さんは賞を受賞されました。

・銀メダルのシルバーギルト受賞

・長崎市より特別表彰

石原和幸さんは35歳から庭造りを始めますが、37歳の頃のお父さんの死をきっかけに『自分は何のために生きているのか』を考えはじめたそうです。

この精神から作られた価値観はとても素晴らしいものだったのでしょう。

2006年~2008年 3年連続『チェルシーフラワーショー』にてゴールドメダルを受賞

その後も受賞し続けてなんと8年連続で11個の金メダル受賞だそうです。

その後2009年には東日本ハウスと業務提携を結び、モデルハウスやガーデニングセミナーを開催していったそうです。

一躍有名になった石原和幸さんは『チェルシーフラワーショー』にてエリザベス女王とも談笑された様子が英国で報じられたそうです。

画像元:ツイッター

「花と緑の力で幸せな人を増やしたい」

という石原和幸さんの思いが人々に伝わり、石原和幸サポーターズまで発足をするほど人気の庭園デザイナーとして知れ渡っています。

石原和幸【庭園デザイナー】8億借金後の現在は?

現在、石原和幸さんは『株式会石原和幸デザイン研究所』の代表取締役としてご活躍中です。

『株式会石原和幸デザイン研究所』

『株式会石原和幸デザイン研究所』は東京・福岡・長崎3カ所に拠点

・ガーデンや広場のプランニング

・ご自宅やオフィスビルなどの壁面緑化

・店舗や商業施設などの室内緑化

・プライベートガーデンのデザイン

・イベント会場のフラワーアレンジメント

・プライベートレッスン

など幅広く事業展開されています。

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弟子入りとして、大相撲の元横綱朝青龍さんや上原多香子さんが有名ですが、プライベートレッスンを受けていらっしゃるのでしょうか?

画像元:インスタ

上原多香子さんはツイッターに弟子入りし、三原庭園で修行を本格的に始められたとつぶやいていらっしゃいますので今後作品が楽しみですね!

世界的にガーデナーとしてご活躍の他、よしもとクリエイティブエージェンシーに所属され、テレビやラジオにご出演されています。

こちらに石原和幸さんが「チェルシーフラワーショー」にて金賞受賞の「ガレージガーデン」の様子がありました。

家にこんなガレージがあったら楽しくなりそうです。

ガレージって何故か殺風景なイメージだったのに、欲しくなってしまいそうなガレージですね!

石原和幸さんの本に、

まず「できます」と言え。やり方は帰り道で考えろ。

という言葉があります。

それが、和洋なんでも素敵に魅せてくれる技術なのでしょう。

画像元:ツイッター

数々の苦難を乗り越え、決して諦めずに素晴らしい生き方と、ガーデニングを魅せてくれた石原和幸さんの今後の益々のご活躍を楽しみに期待しています。

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